日本の子どもとサッカー教育

コラム

「相手を交わし、あとひと蹴りでゴールを決めることができる場面がきました。しかし交わした時にぶつかった相手が倒れてしまいました」

あなたは、どうしますか?

日本の子ども

つい先日の出来事です。

ある場面でゴールするチャンスをつかんだ子がいました。相手チームの子を交わし、あとひと蹴りでゴールできる場面。しかしその子は、交わす時にぶつかって倒れた子へ「大丈夫?」と手を差しのべました。

ゴールすることを選ばずにです。

ゴールすれば自分はいい思いができ、仲間も喜んでくれたはずです。しかしその子はゴールすることを選ばず、迷わずに手を差しのべました。

たまたま同じ場にいたスタッフと、口を揃えるように「これが日本の子だね」と。

三つの選択肢

この場面では三つの選択肢が考えられます。あなたはどれを選びますか?

  1. ゴールを決めてよろこぶ
  2. ゴールを決めてから声をかける
  3. ゴールを選ばず手を差しのべる

たぶん、ほとんどは2を選択するでしょう。

なぜでしょうか?

理由はたぶん「自分の利益」と「他者の目」の両方を意識するからだと思います。

自分の利益と他者の目

自分の利益と他者の目。自分のとまわりの評価と言い換えてもいいでしょう。

この二つは私たちの時間に常に付きまい、思考を支配しています。そしてこの二つの要素は、子どもの教育にも影響を与えていると考えています。

自分の利益ばかりを優先する思考は、時に見て見ぬふりを誘発することがあります。同調を求める世間の倣いは、真実を語ろうとする人の口を塞いでいます。

教育現場にはびこるこれら不毛な競争は、子ども社会に制限を与え、成長の可能性を奪っていきます。

サッカー教育

「サッカーは子どもを大人にし、大人を紳士にする」

サッカーが上手になること、仲間と勝利を目指すこと、自分の目標へ向かって努力すること。これらはサッカーを通じて子どもたちに獲得してもらいたいことです。だけどこれが全てではありません。

のびやかに少しづつ自分を成長させ、たくましい子に育つことはもっと重要だと思います。自分の意見を言える子。自分の進む道に責任を持てる子。そして、困っている人を助けることができる強い子に育ってほしいものです。

「サッカーは子どもを大人にし、大人を紳士にする」

とても古い言葉だけど、サッカーが与えてくれる本当の教えは、この言葉通りもっと深いところにあるのでしょう。

問い

幼い子を選別する仕組みも出来上がりました。いわゆる10歳の壁と言われる年代からの優劣は当たり前となりました。子どもたちは大人が与えた評価に従い、自分の存在を理解します。たとえそれが受け入れられない内容であってもです。

これら時代の仕組みに疑問をもち、問うことができるのは私たち大人です。「大丈夫?」と手を差し出せる逞しい子は、大人の勇気が育てます。

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