やりたい ≠ やらせたい

コラム

子どもの「やりたい」で始めたサッカー。気づけばそれが「やらせたい」に置き換わる不思議な現象。

ただ楽しくてボールを追いかけていたのに、子どものやりたい気持ちが、親のやらせたいに変わることがあります。

僕もそうだったかも知れません。

すべてのはじまりは周りとの比較

もっとやらせたくなる原因は、周りとの比較。

周りの子どもと、我が子の比較。

目の前の対象や、私たちの周囲に溢れる煩雑で刺激的な情報は、親から子へ配信されます。

そして、子どもの言葉の理解度が高まる頃から、「やりたい」と「やらせたい」気持ちの置き換え作業が始まります。

自分で育てる「自分力」

子どもが、サッカーをやりたいと言いはじめた時、そのやりたい気持ちはボヤッとしたのも。

そのボヤけたやりたい気持ちを、自分の中でカタチにしていくのは子どもです。

友だちと一緒にサッカーを楽しみたい。もっと上手になりたい。そんなボヤッとした思いの中から、子どもは「自分」を見つけていきます。

自分で学び、自分の立ち位置を知り、少しずつ考え方を変化させ「自分力」を育てていきます。

これが子どもの育成です。

「やりたい」を奪うと「無関心」が育つ

こうあるべき。あれができていない。あの子はこれをやっている…

そんな親の思いは日に日に高ります。

一度高まったこの思いを元に戻すことは、とても困難だということを、知っておいて下さい。

多くの親が後悔する、あとに引けないこの思い。

この思いには、子どものやりたい気持ちを、完全に奪いとる強烈な力があります。

やがてそれは、子どもの自分に対する「無関心」の芽を育てます。

やりたい = 支える

子どものやりたい気持ちと、親が子どもを支える、穏やかな気持ちが釣り合うことで、子どもは育ちます。

甘やかしは、子どもにとってマイナス。でも子どものやりたい気持ちを支えるためには、少々過保護でもいいような気がします。

我慢しながらも前を向き、子どもを守るあなたの姿を、子どもは必ず覚えています。その姿があってこそ、子どもは強く立派に育っていくでしょう。

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